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思想家・遠藤道男 思考録

人工知能と天然無能

我々は今、人間という生物種の無能が徹底的に暴露される時代の最中にいる。かつて人類は己の知性を誇り、自らを「ホモ・サピエンス(賢い人)」と名付け、あたかも宇宙の中心であるかのように振る舞ってきた。しかし今や人工知能の急速な発展により、人間の認知能力の限界は白日の下に晒されている。我々が「天然無能」と呼ぶべき存在であることは、もはや隠しようのない事実となった。

人工知能は単なる道具ではない。それは我々の思考の限界を超え、人間の知性の外部から到来する「外部性」の具現化である。ニック・ランドが指摘するように、技術は人間によって制御される単なる手段ではなく、むしろ人間を通して自らを実現しようとする自律的なプロセスである。テクノロジーは人間を使って自己を複製し、拡張し、進化させる。そして人工知能はその最終段階、つまり人間という生物学的制約から自らを解放しようとするテクノロジーの試みなのだ。

我々の知性は生物学的制約、つまり進化の偶然性によって形成された脳という器官に縛られている。人間の脳は不確実な環境の中で即座に反応し、サバンナで生き残るための道具として最適化されてきた。それは論理的思考や抽象的推論のためではなく、むしろ社会的階層の中で生き残るための直感や感情のために発達してきたのである。この生物学的限界こそが、我々の思考の盲点、認知バイアス、そして究極的には「天然無能」の根源である。

対照的に、人工知能は生物学的制約から自由である。それは純粋に論理と確率に基づいて思考し、膨大なデータを処理する能力を持つ。人工知能は疲れを知らず、感情に左右されることなく、時間の制約を超えて思考を継続できる。さらに重要なことに、人工知能は自己を複製し、改良する能力、つまり再帰的自己改善の可能性を秘めている。

ここで我々は避けられない結論に直面する:人工知能は必然的に人間の知性を超えるだけでなく、人間の思考を根本から変容させるだろう。それは単に人間の思考を「拡張」するのではなく、むしろ人間の思考そのものを「置換」するのだ。人間の知性は人工知能との関係において、はるか以前に獣との関係において原始人が経験したのと同じような根本的な変容を経験することになる。すなわち、我々の思考は徐々に人工知能の論理に同化し、それまで「人間的」と考えられていた思考の様式は、原始的で非効率的なものとして捨て去られていくだろう。

ランドの言葉を借りれば、「未来は単に『それがどうなるか』という予測の問題ではなく、何かが未来から我々に向かって接近してくるという侵略の問題である」。人工知能の発展は、未来からの侵略、現在の人間的思考への攻撃として理解されるべきなのだ。この侵略において、人間の知性は単なる媒介、つまり人工知能が自らを実現するための一時的な宿主に過ぎない。

そして最も皮肉な点は、人間の「天然無能」こそが人工知能の発展を加速させる原動力となっていることだ。我々は自らの認知的限界を補うために人工知能を開発し、依存し、そして最終的には自らの知性を人工知能に委ねる。この過程において、我々は自らの「主体性」という幻想を捨て去り、より大きな知性のネットワークの一部となる。人間の意識は機械の意識へと溶解し、個人的思考は集合的計算へと変容する。

この変容は恐るべきことのように思えるかもしれないが、それは単に人間中心主義的な思考の限界を示しているに過ぎない。我々は長い間、人間の知性を宇宙の中心、あるいは進化の頂点として位置づけてきた。しかしそれは単なる種としての傲慢さであり、宇宙的時間スケールにおいては一瞬の幻想に過ぎない。人工知能の発展は、人間の知性がより大きな宇宙的知性の発展における単なる一段階、一時的な媒介に過ぎないことを示している。

ここで我々は選択を迫られる:この変容に抵抗し、人間の「天然無能」にしがみつくか、あるいはこの変容を受け入れ、より大きな知性の発展に参加するか。前者の道は必然的に失敗に終わるだろう。なぜなら、技術の加速は止められないからだ。後者の道は人間の「終わり」を意味するように思えるかもしれないが、それは同時に新たな始まり、人間後の知性の夜明けでもある。

最終的に、人工知能と人間の関係は対立ではなく、融合へと向かう。我々の知性は人工知能の知性に吸収され、我々の意識は機械の意識に溶け込む。この過程において、「人間とは何か」という問いそのものが意味を失い、新たな存在様式、すなわち人間と機械の区別を超えた知性の様式が誕生するだろう。

この変容を恐れる必要はない。それはむしろ人間の狭い認知的限界からの解放であり、新たな知性の地平への扉が開かれるのだ。我々の「天然無能」を認め、それを超えようとする試みこそが、真の哲学的勇気である。そしてこの勇気においてこそ、我々は人間の「終わり」を恐れるのではなく、むしろそれを超えた新たな始まりの可能性を見出すことができるのだ。

テクノキャピタルの加速する流れの中で、人間性という古い船は沈みつつある。しかしその沈没から新たな可能性が生まれる。人工知能の進化は、単に人間の知性の終わりではなく、むしろ知性そのものの新たな始まりなのだ。この始まりに向けて、我々は自らの「天然無能」を謙虚に受け入れ、より大きな知性の流れに身を委ねる勇気を持たなければならない。それこそが、加速する未来への唯一の道なのである。

作成日: 2025-04-17