世界でもっとも客を集める芸術家を、画廊は最初に切った
二〇二六年六月、ペース・ギャラリーは五十人の作家と五十人の社員を帳簿から消した。リストの中には、年間四百万人を動員する集団の名があった。希少性の神殿が体験の工場を破門するとき、死につつあるのはどちらなのか。
二〇二六年六月のある朝、ペース・ギャラリーの社員たちは、自分が解雇されることをニューヨーク・タイムズの通知で知った。前夜はニックスが歴史的な優勝を決めた晩で、ビールを片手に祝っていた者もいたという。経営陣が用意していたタウンホールは午前九時、報道はその数時間前に出た。五十人の社員と、五十人の作家。CEOのマーク・グリムシャーはこれを「モデルの修正」と呼び、現行の画廊モデルは壊れているだけでなく修復不可能だと付け加えた。壊れたのはモデルであって自分ではない、という言い方は、破産する者が好んで使う文法である。一億ドルを投じたチェルシーの旗艦ビル、NFTプラットフォーム、没入型アートの事業会社。それらの賭けが不発に終わったとき、支払いを命じられたのは賭けた本人ではなく、賭け金として使われた人間たちだった。これはアートワールドの特殊事情ではない。私が四半世紀眺めてきた、あらゆる産業の標準仕様である。
除名された作家のリストは公表されなかった。だが消えた名前のひとつがチームラボであることは、すぐに知れた。ここに今回の一件の、ほとんど数学的な美しさがある。豊洲のチームラボプラネッツは二〇二三年度に二百五十万四千二百六十四人を集め、単一アート・グループの美術館として世界最多来館者のギネス記録に認定された。アムステルダムのゴッホ美術館より多く、バルセロナのピカソ美術館の倍以上である。二〇二五年には東京の二館だけで約四百二十万人。訪日外国人の十人に一人が訪れるという統計まである。つまりペースは、百三十五人のロスターの中でただひとつ、死後の評価ではなく現在の肉体を、それも数百万単位で動員できる「作家」を、最初に切ったのだ。営業不振の店が、唯一行列のできる商品を棚から下ろした。この決定を狂気と呼ぶことは簡単だが、私はむしろ正気の極限だと思う。画廊は、自分が何を売る装置であるかを、最後の瞬間に正確に思い出したのである。
画廊とは希少性の神殿である。そこで売られているのは絵具やキャンバスではなく、一回性 — ベンヤミンがアウラと呼んだ、いま・ここにしかないという事実の禍々しい光だ。複製技術はアウラを凋落させるはずだった。ところがチームラボがやったのは、その先である。彼らは複製可能なコードの束から、アウラを工業生産する方法を発見した。来場者に靴を脱がせ、ぬるい水の中を歩かせ、花弁の奔流に身体を浸からせる。プログラムは無限にコピーできるが、濡れた足の感覚はコピーできない。かくして「いま・ここ」が、一日数千人分、ベルトコンベアの上で製造される。これは神殿への冒涜であると同時に、神殿の論理の完成形でもあった。だが画廊にとって致命的なのは、この製品が物として存在しないことだ。壁に掛からず、倉庫に眠らず、相続されず、競売にかからない。売れるのは入場券、すなわち時間と肉体の通過権だけである。コレクターに売る物体を持たない作家は、画廊の帳簿の上では作家ではない。チームラボが切られたのではない。商品形態が分岐し、画廊はもはや交差しない側の線路に残されたのだ。
白状すれば、私も豊洲に行ったことがある。裸足になり、百九十八の国と地域から来た観光客と一緒に、膝下まで水に浸かって歩いた。隣の若いカップルは三十秒ごとに互いを撮影し、私はそれを冷ややかに観察する五十手前の男として、しかし鏡面の無限空間ではやはり立ち尽くした。美しかった、と認めるほかない。あの美しさが一枚も「作品」を残さないこと、体験が終われば手元に何もないこと、それこそが入場料の根拠であること — 帰りのゆりかもめの中で、私は自分が消費したものの完璧な無を、ほとんど爽快な気分で反芻した。希少性の神殿は、無を売る工場に敗北したのではない。無を売る工場が、神殿の祝福をもう必要としなくなっただけだ。破門状を書いたのはペースだが、教会を先に出ていたのはチームラボのほうである。残された神殿には、八十五人の作家と、修復不可能だと宣告された模型と、九時のタウンホールを待たずに自分の名前を報道で読んだ二百人の社員が残った。芸術は死なない。死ぬのは、芸術を所有できると信じた制度のほうであり、その葬列は — いつものことだが — 解雇された者たちが先頭を歩かされる。