切腹を夢見る不死者たち — 三島由紀夫を発見したカリフォルニアについて
二〇二六年三月五日、午後三時二十分、パランティア創業者は首相官邸で二十五分を過ごした。半世紀前に市ヶ谷で腹を切った小説家が、いまカリフォルニアの新しい支配者たちの書架に並んでいる。歴史の終わりに取り残された者たちの、奇妙な信仰について。
二〇二六年三月五日、午後三時二十分から約二十五分間、パランティア・テクノロジーズ創業者ピーター・ティールは首相官邸において高市早苗の表敬を受けた、と外務省の記録は述べている。両者は「革新的な技術分野における現状と将来の展望」について意見を交換した。この文章の完璧な無内容さは、それ自体が一つの様式の達成である。官僚機構は何十年もかけて、いかなる意味も発生させずに単語を配列する技術を磨いてきた。だがこの二十五分の儀礼の背後には、報道資料が決して触れない一つの事実が横たわっている。この訪問者と、彼を取り巻くカリフォルニアの知的サークル — 投資家、隠遁した反動思想家、匿名の書き手たち — が、一九七〇年十一月二十五日に市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹した日本の小説家を、繰り返し、ほとんど強迫的に参照しているという事実である。自由と民主主義はもはや両立しないと二〇〇九年に書き記した男が、天皇のために死んだと称する男を読んでいる。この組み合わせは一見すると悪趣味な骨董趣味に見える。実際にはもっと悪い。それは正確な自己診断なのだ。
彼らが引用するのは、決まってあの死の年の言葉である。このまま行けば日本はなくなり、その代わりに「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」が極東の一角に残るだろう、という予言。三島がこれを書いたとき、それは一つの国についての呪詛だった。半世紀後、太平洋の反対側でこの一節を読む男たちは、そこに国境を認めない。彼らが読み取るのは、自分たちが住んでいる世界そのものの臨床報告である。無機的で、からっぽで、ニュートラルで、富裕で、抜目がない — これはもはや極東の一角の描写ではなく、コンプライアンス部門と人事研修と四半期決算とが人間の魂の最終形態となった惑星全体の描写である。テック右派の三島崇拝とは、要するに、患者が自分のレントゲン写真に恋をするという倒錯なのだ。
この倒錯を理解する鍵は、彼ら自身の知的系譜の中にある。ティールがフクヤマの「歴史の終わり」に長年憑かれてきたことはよく知られているが、フクヤマの背後にはコジェーヴがいる。そしてコジェーヴこそ、一九五九年の日本訪問の後、あの有名な脚注で奇妙なことを書いた男だった。歴史がすでに終わっているとすれば、人間に残されるのは動物としての満足だけである — ただし日本を除いて。日本人は歴史の終わりを世界の誰よりも早く、徳川の鎖国のうちに通過し、その先で純粋なスノビズムを、つまり一切の内容を失った形式そのもののために生き、そのために死ぬ技術を発明した。能、茶道、そして何の政治的必然もない切腹。コジェーヴにとってそれは、歴史以後の人間がなお動物に堕ちずにいられる唯一の様式だった。三島の死は、この脚注の三十年遅れの、血の滴る実演だったと言える。そしてシリコンバレーの男たちは、自分たちの停滞論 — 一九七〇年代以降、原子の世界では何も起きていない、我々は空飛ぶ車を望んだのに百四十文字を得た、という例の嘆き — が、実のところコジェーヴの脚注の再発見にすぎないことに、薄々気づいている。西洋はついに一九七〇年の日本に追いついたのだ。生の衰弱において。
ここに、この信仰のほとんど滑稽な核心がある。三島は四十五歳で死んだ。肉体の頽廃が始まる前に、美しいままで退場するために、彼は十年をかけて自分の死を演出した。一方、彼を読むカリフォルニアの男たちは、血液の若返りに、冷凍保存に、老化の「治療」に投資する。彼らは死を工学的な不具合とみなし、百五十年の寿命を真顔で語る。つまりこういうことだ。切腹した男を崇拝しているのは、死ぬことを何よりも恐れる男たちなのである。両者が共有しているのは、からっぽな経済的動物として余生を過ごすことへの拒絶だけであり、その拒絶から彼らは正反対の出口へ向かった。一人は死によって時間から降り、他方は不死によって時間を買い占めようとする。どちらも、老いてゆく平凡な身体で無意味な火曜日の午後を生きるという、人類の大多数に割り当てられた運命だけは、絶対に受け入れない。
もっとも、彼らの三島理解が正確かといえば、そんなことはどうでもよいのだろう。彼らが欲しいのは刀であって傷ではない。楯の会は百人足らずの学生を美しい制服で着飾らせ、最後はバルコニーの演説を自衛官たちの野次と報道ヘリの爆音にかき消されて終わった。パランティアは同じ夢をより効率的に見る。駐屯地のバルコニーで絶叫する代わりに、駐屯地そのものにソフトウェアを納入するのだ。決起はタームシートの形式を取り、国体はデータ統合基盤と呼ばれ、かつて野次を飛ばした群衆は、いまや月額課金の顧客として整列している。三島が最後の瞬間に確認したのは、誰も自分の言葉を聞いていないという事実だった。彼の後継者を自称する者たちは、その失敗から唯一の実務的な教訓を引き出した — 聞かせる必要はない、接続させればよい。
だから三月のあの二十五分を、私はある種の巡礼として想像する。歴史の終わりに世界で最初に到達し、そこで半世紀を静かに、無機的に、抜目なく過ごしてきた国。その官邸の応接室で、不死を夢見る訪問者は「革新的な技術分野における将来の展望」について語り、儀礼は滞りなく終わる。窓の外では、三島が呪ったとおりの、そして彼の読者たちが密かに憧れてやまない、富裕でニュートラルな大国の午後が続いている。豊饒の海とは月の海の名であり、そこには一滴の水もない。彼らはその乾いた海の岸辺に立って、波の音を聞いたと言い張っている。おそらく機械の駆動音を、そう聞き間違えているのだ。