灰色の流動性 — ゲルハルト・リヒターという名の金融現象
九十四歳の画家は、みずからの絵の価格を「銀行危機と同じくらい馬鹿げている」と評した。だがその馬鹿げた価格こそが、彼の疑念の芸術に対する市場からの最も誠実な批評であったとしたら。ぼかしと流動性、スキージと造幣局をめぐる考察。
二〇二六年六月、バーゼルのメッセ会場で、ハウザー&ワースは《Abstraktes Bild (940-7)》を二千万ドルで売却した。二〇一五年制作、つまり画家が「最後の絵画群」を完成させたと宣言する二年前の作品である。会場を歩くコレクターたちの多くは、翌週にはマヨルカ島のヴィラで日焼けしながら、自分が買ったのか買い損ねたのかをもう思い出せなくなっているだろう。二年続いた市場の低迷は今年上半期に反転し、資金は「美術館級」と形容されるトロフィー・ロットへと集中的に還流した。この還流の受け皿として、というよりその還流を測定する計器として、リヒターほど適した固有名は存在しない。九十四歳。存命。ドレスデン生まれ。ベルリンの壁が閉じる数か月前に西側へ滑り込んだ男。そして半世紀にわたり、絵画とは何かという問いを、答えを一度も出さないという方法によって延命させてきた男。
ここに一つの単純な事実がある。リヒターは二〇一一年、テート・モダンでの回顧展の記者会見で、自作の価格について「銀行危機と同じくらい馬鹿げている。理解不能で、間抜けだ」と述べた。この発言は以後あらゆる記事に引用され、画家の清廉の証明として流通してきた。だが私はむしろ逆の読みを提案したい。この発言こそが、リヒター作品の最良の目論見書だったのである。「理解不能」であること — それは金融商品の欠陥ではなく、要件だ。誰にも完全には理解できない資産だけが、あらゆる解釈を、したがってあらゆる買い手を受け入れる。リヒターのぼかしは、写真と絵画のあいだの認識論的宙吊りとして美術史家に語られてきたが、市場はもっと率直にそれを読んだ。焦点の合わない画面とは、意味の確定を無期限に繰り延べる装置であり、意味の繰り延べとは、価値の劣化しない保存に他ならない。特定の何かを描いた絵は、その何かとともに古びる。何も断言しない灰色は、決して償還期限を迎えない。
ゲオルク・ジンメルは百二十年前、貨幣とは「手段の純粋な形式」であり、いかなる質的規定からも解放されることによってこそ万能になると書いた。貨幣は無性格であるがゆえに、あらゆる性格を媒介できる。リヒターの抽象画、とりわけスキージで絵具を引き延ばしたあの画面は、この無性格性の視覚的等価物である。筆致という個人の痕跡は、幅一メートルのへらによって組織的に抹消される。画家自身が「偶然のほうが私よりうまくやる」と認めた制作過程は、意図の放棄であると同時に、責任の放棄でもあり、そして責任を負わない表面こそが、担保として最も清潔なのだ。サザビーズが今日リヒターのページに「アート担保融資のご相談はファイナンシャル・サービスへ」という一文を平然と併記していることに、誰も驚かない。絵は壁に掛かる前に、まずバランスシートに掛かる。箱根のポーラ美術館が香港のオークションで約三十億円を投じて《649-2》を落札したとき、日本の美術ジャーナリズムは「価格に見合う価値はあるのか」と野暮な問いを立てたが、問いの向きが逆である。あの三十億円は絵の価値の測定ではない。絵のほうが、化粧品会社の創業家資本が九十年かけて堆積させた流動性の、測定なのだ。
もっとも、この事態を嘆く者たちの感傷には付き合わないでおこう。芸術が資本に汚染されたという物語は、汚染以前の純潔な芸術という、一度も存在したことのない過去を必要とする。リヒター自身、その点では同時代の誰よりも醒めていた。彼はナチスの優生政策で餓死させられた叔母を描き、ビルケナウの連作を制作し、そしてそれらを市場に出さず財団と委員会に引き渡した。つまり彼は、売れるものと売ってはならないものの境界線を、誰よりも正確に引ける人間だった。境界線を引けるということは、境界の両側の論理を熟知しているということだ。疑念の画家は、疑念さえもが優良資産に転化する回路を、おそらく最初から見抜いていた。そして絵を描き続けた。この持続こそが答えである。回路を見抜いた者にできることは、回路の外に出ることではない — そんな外部はもうどこにもない — 回路にさらに絵具を流し込み、循環の速度を上げることだけだ。灰色は増殖する。価格は更新される。理解不能なものだけが、生き残る。