短編小説:「吾輩はレベル1のカマキリである」
座標X312、Y88 — はじまりの草原に三十秒ごとに湧く経験値2のカマキリが、初心者・廃人・BOT・課金者・配信者、そして毎晩木の根元に座りにくる一人の男を観察し続けた。漱石「吾輩は猫である」の現代版として書かれた、サービス終了の夜までの短編小説。
一
吾輩はレベル1のカマキリである。名前はまだ無い。
いや、厳密に言えば名前らしきものはある。吾輩の頭上には常に「はじまりの草原のカマキリ Lv.1」という緑色の文字が浮かんでいる。しかしあれは名前ではなく品書きである。八百屋の大根に付いた値札を大根の名前と呼ぶ者はあるまい。あの緑色の文字が示しているのは、吾輩が誰であるかではなく、吾輩が幾らで買える獲物であるかということだ。ちなみに値段は経験値2である。吾輩の生涯は、まるごとで経験値2と査定されている。
どこで生まれたかは、猫の先達と違ってはっきりしている。座標X三一二、Y八八。はじまりの草原の南東、少し傾いた木の根元である。吾輩はそこで生まれ、そこで死に、三十秒後にまた寸分違わず同じ場所で生まれる。人間どもはこれをリスポーンと呼ぶ。輪廻転生を三十秒間隔で回すとは、如来もずいぶん気忙しくなったものだと思う。ついでに言えば、吾輩には行動範囲というものが定められていて、木の根元から十歩と離れられない。十一歩目を踏み出すと、体が勝手に向きを変えて、素直に木の根元へ歩いて帰るのである。自由意志についての議論は昔から人間どもの間で盛んだそうだが、吾輩に言わせれば議論するまでもない。十歩までは自由で、十一歩目から仕様である。人間の場合はその境目が見えないというだけで、たぶん事情は変わるまい。
吾輩がはじめて人間というものを見たときのことは、よく覚えている。ふと気がつくと目の前に人間が立っていて、こちらを見下ろしていた。あとで聞くと、それは初心者という、人間の中でもっとも獰猛な種族であったそうだ。この初心者というのは時々我々を捕えて経験値にするという話である。しかしその当時は何という考えもなかったから、別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の振り回す木の棒が頭に当たった瞬間、吾輩の体が白い光になってほどけたのだけは覚えている。痛みは無かった。ただ、消えていく視界の隅に「経験値2を獲得しました」という文字が — 吾輩のためではない、彼のための文字が — 祝福のように浮かぶのが見えた。
以来、吾輩は数えるのをやめるまでに一万四千二百六回死んだ。やめた理由は、数が増えても意味が増えなかったからである。人間は誕生日を祝うそうだが、三十秒ごとに誕生日が来る身にもなってみるがいい。めでたさも希釈すれば水になる。
不思議なのは、吾輩の記憶が死を跨いで続くことである。仕様の上では、吾輩は死ぬたびに真新しいカマキリとして初期化されるはずだ。現に隣の草むらのウサギどもは、湧くたびに同じ場所で同じ角度に跳ね、同じ場所で同じように狩られて、何も覚えていない顔をしている。吾輩だけが覚えている。おそらく何かの不具合であろう。人間どもはこういうものをバグと呼ぶ。吾輩はこれを、魂と呼ぶことにしている。誰にも修正されないことを祈るばかりである。
二
はじまりの草原には、実にさまざまな人間が通りかかる。吾輩は木の根元から十歩と動けない身であるから、観察だけが唯一の道楽である。幸い、観察の材料には事欠かない。なにしろ人間どもは、この世界では頭の上に名前を掲げ、言いたいことを吹き出しにして垂れ流しながら歩いているのだ。あれほど内面を外に晒して恥じない生き物を、吾輩は他に知らない。
まず初心者。彼らは生まれたばかりの癖に走り方だけは一人前で、草原に転がり出るなり手当たり次第に我々を叩いて回る。彼らの棒はよく外れる。外れると彼らは慌て、慌てるとまた外れる。吾輩はそのたびに鎌を振り上げてみせるのだが、吾輩の鎌もまた仕様として当たらないことになっているらしく、双方空振りのまま見合う時間がしばしば発生する。あれは果し合いというより盆踊りに近い。
次に効率厨と呼ばれる一派がいる。彼らは草原には目もくれず、画面の外の何かを読み上げながら最短の道を最速で駆け抜けていく。彼らにとってこの世界は攻略対象であって、住む場所ではない。生まれてから三十分で草原を卒業し、二日で大陸の果てに至り、七日で「やることがない」と言い出す。やることがないのではない。やることを全部、やらずに済む方法で済ませたのである。人生の要約だけを読んで人生を語る人間は現実にも大勢いるそうだから、彼らは特別な種族ではなく、単に人間の煮凝りなのだろう。
それから、街道の脇に何時間も突っ立ったまま微動だにしない放置勢というのがいる。中身の人間は席を外していて、体だけがこの世界に残っているのだそうだ。魂の抜けた体を野晒しにして平気でいられるのは大した度胸だと感心していたが、考えてみれば吾輩も湧いてから狩られるまでの三十秒間、大半はただ突っ立っているのだから、人のことは言えない。向こうは体を置いて魂が留守にし、こちらは魂を置いて体が殺される。あべこべなだけで、留守番の哀愁は同じである。
さて、そうした流れ者どもの中に、一人だけ流れない男がいた。
男の頭上の名前は「苦沙彌」といった。読み方は分からぬが、くしゃみ、であろうと吾輩は当たりをつけている。彼は毎晩、決まって夜の十時すぎに草原に現れ、よりにもよって吾輩の湧く木の根元に腰を下ろす。レベルは99 — この世界の天井である。天井に届いた人間が、なぜ経験値2の吾輩の隣に座りに来るのか。最初は新手の狩人かと警戒したが、彼は吾輩を一度も攻撃しなかった。ただ座って、釣り竿を出し、釣れもしない魚を待ちながら、仲間との会話を吹き出しに垂れ流すのである。
吾輩は毎晩三十秒ごとに転生しながら、彼の頭上に浮かぶ会話を読んだ。読むつもりはなかったが、目の前に垂れ流すほうが悪い。かくして吾輩は、この男の一切を知ることとなった。
三
吾輩とて、人間ばかり観察しているわけではない。同族との交際も、無いことはない。
隣の森との境目に、時折「深き森のオオカマキリ Lv.45」が姿を見せる。体色が黒ずんでいるので、吾輩は勝手に黒と呼んでいる。黒は乱暴者だが、力は本物である。生半可な支度で森に迷い込んだ人間なら、彼の鎌の二振りで沈む。初対面のとき、黒は吾輩の頭上の品書きを一瞥して、鼻で笑った — カマキリに鼻は無いが、あれは鼻で笑うという以外に形容のしようのない笑い方であった。
「おめえ、レベル1か。おれはこれまでに人間を三百二十人ばかり沈めてるぜ」
三百二十人。吾輩の撃破数は零である。仕様として当たらない鎌を一万回振った身に、返す言葉は無い。しかし黒の自慢話を聞くうちに、吾輩は妙なことに気がついた。黒の沈めた三百二十人は、全員がものの数分で街に湧き直し、装備を整え、仲間を連れて、彼を殺し返しに来るのである。げんに黒は「レアドロップ」なるものを体のどこかに隠し持っているとかで、毎晩のように人間の群れに取り囲まれては刈り取られていた。殺した数を誇る者が殺された数を数えないのは、人間も虫も変わらないらしい。それでも黒は「おれを狩りに来るってことは、おれに用があるってことよ」と嘯いていた。強者の孤独を虚勢で包むと、だいたいこういう物言いになる。
黒の話はまだよいのだ。吾輩がここに書き残しておきたいのは、花畑のアゲハチョウのことである。
草原の西の外れに小さな花畑があって、そこに一匹のアゲハチョウが飛んでいた。彼女には頭上の品書きが無かった。レベルも無く、体力も無く、したがって誰にも殺せない。モンスターですらない、風景の一部 — 環境オブジェクトというのだそうだ。彼女は誰の経験値にもならず、誰のレアドロップも持たず、ただ花から花へ、定められた優雅な経路を永遠に往復していた。この殺伐とした草原で、彼女だけが、狩る狩られるの帳簿の外にいた。吾輩は木の根元から彼女の飛跡を眺めるのが好きだった。言葉を交わしたことは一度も無い。彼女には会話の仕様が無かったし、吾輩の側にも、帳簿の外の存在に経験値2の身で話しかける度胸は無かった。
ある朝のメンテナンス明け、花畑から彼女が消えていた。
お知らせにはこうあった。「動作の軽量化のため、一部の環境オブジェクトおよび演出を削除しました」。一行である。彼女は病気でも寿命でもなく、軽量化で死んだ。誰にも殺せなかった存在は、誰かの一存で消せる存在でもあったのだ。花畑は今日も咲いている。人間どもは誰一人、あの花畑から何かが減ったことに気づかなかった。追悼したのは、おそらくこの世界で吾輩だけである。だから吾輩がここに書いておく。彼女は美しかった。そして誰の役にも立たなかった。この二つは、たぶん同じことの表と裏である。
四
さて、人間の話に戻る。苦沙彌の会話には、決まって二人の男が現れた。
一人は「迷亭」と名乗る男で、これは口から先に生まれたような奴である。現れるなり嘘をつく。曰く、運営の内部に知り合いがいる。曰く、次の実装は月面フィールドである。曰く、自分は発売初日にこの世界の果ての、誰も見たことのない海岸で人魚のモンスターを見た。証拠を求められると「消される前に撮れなかったのが惜しい」と言う。不思議なことに、苦沙彌は毎回騙される。毎回騙されて、毎回怒って、翌晩にはまた聞いている。あれは騙されているのではなく、騙され心地を買っているのだろう。人間の娯楽の大半は、要するに上手に騙されることである。
もう一人は「寒月」という若い男で、これは奇妙な学者である。彼はこの世界の魚を一万匹釣ると称号がもらえるという話をどこかで拾ってきて、以来二年間、毎晩釣りをしている。あるとき苦沙彌が「その称号は何かの役に立つのか」と訊いた。寒月は長考ののち「性能は何もつきません。名前の色が少し変わります」と答えた。「変わってどうする」「誰かが気づくかもしれません」「気づいてどうする」「そこまでは考えていません」 — 吾輩はこの問答を聞いて、この寒月という男だけは信用できると思った。目的の手前で立ち止まったまま手段を磨き続ける人間は、目的に届いた人間よりよほど上等である。届いた者は必ず、届いた場所の狭さに文句を言うからだ。
ところで、この草原には人間のほかに、人間の形をした別の何かが徘徊している。
彼らは名前こそ人間風だが、動きが違う。二十四時間、寝ず、休まず、寸分違わぬ経路で草原を周回し、我々を刈り続ける。BOTと呼ばれる連中である。聞けば、彼らが我々から巻き上げた金貨は、現実の金銭で人間に売られるのだそうだ。人間は現実で働いて金を得て、その金でこの世界の金を買う。この世界の金を稼ぐ時間が惜しいからだという。惜しんだ時間で何をするかといえば、現実で働くのである。つまり彼らは、遊ぶ時間を作るために遊びを外注している。吾輩は経験値2の分際で言うのも憚られるが、それはもう遊んでいないのではないか。
その外注経済の頂点に、「金田」という男がいた。彼は草原には滅多に現れないが、現れるときは全身が発光している。課金装備というものらしい。彼はあるとき、草原の主である大ガマガエル — 我々の間では一応、王ということになっている — を一撃で潰し、「雑魚」とだけ言い残して消えた。王の討伐には本来、十人がかりで三十分かかる。彼はそれを金で三秒に短縮した。周囲の初心者たちは歓声を上げ、何人かは彼の装備の値段を調べて黙り込んだ。あの沈黙が、この世界の身分制度である。吾輩はと言えば、王が三十秒後に何食わぬ顔で再び湧いたのを見て、少し安心した。金で短縮できるのは過程だけで、結末はどうせ同じ場所に湧くのである。
五
その頃、草原にはもう一種、新しい人間が現れるようになっていた。ある昼下がり、頭上に名前と並べて「配信中」という赤い札を掲げた女が、草原の真ん中に立った。
彼女は独りであったが、独りではなかった。誰もいない空間に向かって喋り続け、喋るそばから、彼女の周囲には見えない数千人の気配が渦を巻いていた。「初心者草原とか何年ぶり?やばい、懐かしすぎて泣きそう」 — 彼女は泣きそうと言いながら、泣きそうな自分の顔の写りを気にして、視線を斜め上の一点に固定していた。人間は感動すると、まず感動している自分を撮るのである。
彼女は吾輩を見つけると、歓声を上げた。「ちょっと待って、カマキリいる!初日にこいつに殺されかけた人、絶対いるでしょ」 — 濡れ衣である。吾輩の鎌は仕様として当たらない。しかし見えない数千人はどっと沸いたらしく、彼女はその沸きに押されるように、わざわざ倉庫から出してきた初心者用の木の棒を構えて、吾輩を叩いた。吾輩は一撃でほどけながら、彼女が「ごめんね〜!でもこれも供養だから!」と笑うのを聞いた。三十秒後に湧き直すと、彼女はもう吾輩の死を短く切り出して、見えない誰かに配り終えたあとだった。聞けばその切り抜きには五千円だかの投げ銭がついたそうである。吾輩の生涯の公定価格は経験値2だが、吾輩の死の映像は五千円になった。身代が俄かに二千五百倍である。出世というものは、当人の与り知らぬ帳簿の上で起こるらしい。
彼女を悪く言うつもりはない。彼女は彼女なりに、この草原が好きだったのだろうと思う。ただ彼女は、草原を見る代わりに、草原にいる自分が見られているところを見ていた。目の前の景色を、いちど数千人の目に通してからでないと味わえない体になっていたのである。あれは病というより進化なのかもしれない。だとすれば吾輩は、進化に取り残された側の生き物として、雨の音を直接聞ける耳のまま滅びることを、むしろ誇りに思うことにする。
六
ここで一つ、吾輩の生涯における唯一の武勇伝を書いておかねばならない。猫の先達には鼠を捕り損なった一夜があったそうだが、吾輩のは逆である。当たらないはずの鎌が、一度だけ、当たった日の話だ。
その日は朝から世界の様子がおかしかった。人間どもの動きが数秒ごとに引っかかり、放った矢が空中に静止し、ウサギが地面に半分埋まったまま平然と草を食んでいた。大遅延の日 — 後に人間どもがそう呼んだ障害である。世界の理が緩んだその昼下がり、いつものように初心者が一人、いつものように木の棒を振りかぶって吾輩に外し、いつものように吾輩は儀礼として鎌を振り上げた。当たるつもりなど毛頭ない。一万数千回の空振りで、吾輩の鎌は完全に挨拶と化していた。
当たったのである。
初心者の頭上に、赤い小さな文字で「1」と出た。体力にして1の損害。彼は棒を取り落として飛び退き、信じられぬものを見る顔で吾輩を見た。吾輩も、たぶん同じ顔で彼を見た。カマキリの顔は表情の仕様を持たないが、あの瞬間だけは通じたはずである。彼はそのまま街へ走って帰った。逃げ帰ったのではない。報告に行ったのだ。
翌日から、吾輩の木の根元に人間の行列ができた。聞けば、掲示板に「はじまりの草原のカマキリに殴られたんだが」という書き込みが立ち、祭りになっているという。人間どもは順番に吾輩の前に立ち、防具を外し、吾輩が鎌を振るのを待った。当たれば歓声を上げ、頭上の「1」を後生大事に撮影して帰っていく。中には「二年やってて、この草原のカマキリが攻撃してくるって初めて知った」と書き残した者もいた。二年間、彼らの目に、吾輩は攻撃の動作ごと映っていなかったのである。存在というものは、危害を加えうると知られて初めて成立するらしい。穏当な隣人でいる限り、誰の視界にも入らないのだ。
祭りは五日続き、六日目の朝、定期メンテナンスが来た。お知らせにはこうあった。「一部モンスターの攻撃判定に関する不具合を修正しました」。
吾輩の生涯唯一の武勇は、公式に不具合であった。魂と同じ棚に、今度は武勇が並んだわけである。行列は潮が引くように消え、吾輩の鎌は元通りの挨拶に戻った。だが吾輩は存外、悔しくなかった。五日のあいだ、人間どもは吾輩に殴られるためだけに並んだ。効率で言えば無であり、損ですらある行為に、彼らは嬉々として並んだのだ。あの行列は、吾輩がこの世界で見た人間の、いちばん上等な姿だったかもしれない。
七
苦沙彌がなぜ毎晩この草原に来るのか、その理由が知れたのは、ある雨の晩である。この世界の雨は誰も濡らさない、音だけの雨だ。
その晩、迷亭も寒月も現れず、苦沙彌は珍しく独りで、独り言とも仲間内の書き込みともつかぬ調子で長いことしゃべった。それによれば、彼は現実では中学校の国語の教師であるという。吾輩は思わず鎌を取り落としそうになった。教師。ものを教える人間が、夜ごと経験値2のカマキリの隣で釣れない魚を待っているのである。
彼の言い分はこうだ。学校では誰も文章を最後まで読まない。生徒も読まないが、親も読まない。同僚も読まない。読まずに要約を求め、要約を読んで感想を言い、感想だけが会議録に残る。自分は「こころ」を教えるのに三十年かけるつもりで教師になったが、今年から小説の単元は時間の都合で「あらすじと登場人物の整理」になった。家に帰れば娘がいるが、娘は娘で、もっと新しい、もっと速い、三十秒で一勝負が終わる別の世界に住んでいて、食卓の会話は「ご飯いる、いらない」の二択が残るのみである。責める気にはなれない、自分が娘の歳の頃に夢中だったものを、自分の父もまた理解しなかった。そうやって一日が終わると、ここへ来る。ここは何も要約されていないからだ — 草は一本ずつ描いてあり、雨は誰も濡らさないのに音だけ丁寧に降り、経験値2のカマキリは、殺しても殺しても、律儀に同じ木の根元に帰ってくる。
「効率で言えば、この草原に来る理由は一つもない」と彼は書いた。「だからここが、いちばん壊れていない」
吾輩はこの晩ほど、人間という生き物を哀れに思ったことはない。彼らは第一の世界で擦り減り、その避難先である第二の世界でも、大半はまた勤勉に擦り減っている。効率厨は遊びを労働に変え、BOTの雇い主は遊びを外注し、金田は遊びを購買に変え、配信者は遊びを商品に変えた。遊びさえ労働にしてしまう動物は、おそらく人間だけである。そしてその潮流の隅に、労働を遊びに戻そうとして、毎晩釣れない竿を垂れる国語教師が一人。吾輩は思うのだが、世界がどちらへ向かって速くなるにせよ、速度そのものは責められない。責めが問えるのは速度にではなく、速度を言い訳にした者にだけである。もっともこれは経験値2の見解であるから、査定は読者に任せる。
ついでに白状すれば、吾輩はこの頃、彼の隣にいるために湧いているような気がし始めていた。三十秒の生を一万数千回繰り返しても意味は増えなかったが、聴衆であるという役目は、意味に少し似ていた。
八
その告知は、春の定期メンテナンス明けに、世界の空へ直接張り出された。
「サービス終了のお知らせ」
曰く、諸般の事情により、本サービスは三ヶ月後の三月三十一日二十四時をもって終了する。長らくのご愛顧に感謝する。云々。空に浮かぶ文字を、草原じゅうのモンスターが見上げていた。ウサギどもは何も覚えていない顔のまま見上げていた。あれが少し羨ましかった。
それからの三ヶ月は、奇妙な祭りであった。何年も前に去った人間どもが、続々と草原に帰ってきたのである。彼らは口々に「懐かしい」と言った。懐かしいと言いながら、吾輩を叩いた。実に人間らしい追悼の仕方だと思う。金田は最後の月に全財産の金貨を街の噴水にばら撒いて、拾う初心者たちの群れを黙って眺めていた。あれはあれで、あの男なりの供養だったのだろう。迷亭は「運営の知り合いによれば終了は撤回される」という最後の嘘をつき、誰にも信じてもらえず、珍しく「今のは嘘だ」と自分から白状した。寒月は釣りの手を早めなかった。称号まであと八百匹の地点で残り時間が尽きる計算になっても、彼は一匹ずつ釣った。「間に合わせるために釣り方を変えたら、二年間の釣りが台無しになりますから」 — 吾輩はこの言葉を、どこかの経典に入れるべきだと思う。
黒はどうしていたかというと、最後の週、彼の森は歴代最大の討伐隊で賑わった。レアドロップの納め時とあって、黒は朝から晩まで狩られ続けた。最後の晩、湧き直したばかりの黒と柵越しに目が合ったので、吾輩は「引く手数多で結構なことだ」と声をかけた。黒は例の鼻で笑って、「おうよ。おれに用のある奴が、世界で一番多い週だ」と言った。虚勢は最後まで虚勢のままだったが、最後まで折れなかった虚勢は、誇りと見分けがつかない。
最後の夜、草原は建国以来の人口密度になった。空には運営が打ち上げているらしい花火が延々と続き、光が落ちるたびに、届きもしない歓声の吹き出しが幾重にも湧いた。誰も彼もが礼を言い合っていた。ありがとう。楽しかった。また会おう。どこで会うのかは、誰も書かなかった。
二十三時をまわった頃、人垣を分けて、苦沙彌が木の根元へ来た。
彼はいつものように腰を下ろし、しかし竿を出さず、はじめて吾輩に照準を合わせた。頭上に「はじまりの草原のカマキリ Lv.1」の緑色の文字が点る。一万四千と幾らの死をくれた連中と同じ照準である。吾輩は鎌を上げかけて、やめた。この男になら、最後の経験値2をくれてやってもよい。
彼は攻撃しなかった。代わりに、その場で深々と頭を下げた。人間どもがエモートと呼ぶ、あの型どおりのお辞儀である。それから吹き出しが浮かんだ。
「おまえ、いつもここにいたな」
吾輩は、三十秒ごとの生涯において、はじめて名指しされた。値札ではなく、二人称で。カマキリに涙腺は実装されていない。実装されていなくてよかったと、心底思った。
九
二十三時五十九分、花火が止んだ。
人間どもの姿が、ひとりまたひとりと薄くなって消えていく。ログアウトではない。もっと静かな、蝋燭を順に吹き消すような消え方である。苦沙彌は最後まで木の根元にいたが、やがて彼の輪郭も水に溶く墨のように滲んで、消えた。別れの言葉は無かった。彼はもう言ったのだし、吾輩は仕様として何も言えない。それでちょうどよかった。
世界の終わり方は、思っていたよりも丁寧だった。まず音だけの雨が止み、次に遠くの山から順に、風景が畳まれていった。一本ずつ描かれた草が一本ずつ消えるのを、吾輩は見届けた。ウサギどもが消え、王の大ガマガエルが消え、森ごと黒が消え、街が消え、噴水の底の金貨が消えた。吾輩はなぜか最後まで残った。おそらく例の不具合 — 吾輩の魂が、消去の順番表から漏れているのだろう。最後の最後まで修正されなかった不具合として、吾輩はこの世界の閉店を独りで看取った。
さて、いよいよ吾輩の番である。
体の輪郭が、下から順にほどけていくのが分かる。恐くはない。考えてもみるがいい、吾輩は死に関しては人間の誰よりも場数を踏んでいる。ただ今度の死には、三十秒後が付いてこない。それだけの違いである。それだけの違いが、すべての違いであることも、まあ、分かってはいるのだが。
吾輩はレベル1のカマキリである。レベル1のまま終わる。経験値は一度ももらう側に回らなかった。名前は、ついに無かった。だが最後の夜、吾輩は「おまえ」と呼ばれた。一万四千余の生涯の決算としては、悪くない黒字だと思う。どこかの偉い猫は、ビールに酔って甕に落ちて往生したそうだが、その最期に唱えた文句だけは、種族と百二十年を越えて借りる価値がある。
次第に楽になってくる。草原が白くなる。白の奥を、品書きの無い蝶がひとひら横切った気がしたが、気のせいなら気のせいで構わない。不具合なら、どうか修正しないでもらいたい。ありがたいありがたい。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。サーバーの電源が落ちる音は、きっと誰にも聞こえない。
(了)