短編小説:「乾いた聖徳太子」
平成十年、秋。三億円事件を七年追い、落とせないまま退職した元刑事・犬飼のもとへ、死んだ新聞記者の遺稿が届く。時効から二十三年、押入れで石になった札束と、三上に毎年十二月に届いていた白紙の手紙。「濡れた聖徳太子」の後日談として、取調室の側から語り直される昭和ノワールの終章。
一 晴れ
晴れていた。
三上の死んだ日は晴れていた。あいつは晴れの日に死ぬ男じゃねえと思っていた。雨の男だ。三十年前の十二月十日も雨で、俺があいつと最後に呑んだ夜も雨で、あいつの記事はいつも紙面の隅まで湿っていた。それが十月の、雲一つねえ日に、新宿の安アパートで一人で死んだ。肝臓だ。発見は翌朝。発見者は家賃の集金人。三十年、家賃だけは律儀に払い続けた男が、最後は家賃の男に見つけられた。
平成十年。俺は七十だ。多摩川の土手下で釣り堀の番をしている。鯉が四百六十二匹。釣られて、針を外されて、池に戻される。減らねえ。増えもしねえ。二十三年、俺はその池を見てきた。十二万人を数えた男が、今は鯉を数えている。悪くねえ商売だ。鯉は自白しねえ。する必要がねえ。釣られるのが仕事で、戻されるのが仕様だ。女房は平成三年に死んだ。あんたは三億円と結婚してる、と俺に言った女だ。先に逝かれた。三億円は残った。
落とし、というのは警察の符丁で、自白を取ることだ。俺は二十七年で百人落とした。落とすのに、拳は使わねえ。使う奴は下手だ。殴られて吐いた自白は、法廷で引っ繰り返る。俺が使うのは椅子と、机と、時間だ。人間は、正しいことをした人間でも、黙って向かい合ってると、自分の中の何かを説明したくなる。説明を始めたら、終わりだ。説明というのは、いつも一つ多く喋る。一つ多く喋った分が、調書になる。落としの犬飼、と呼ばれた。誇りに思ってた。今は、四百六十二匹の鯉と向かい合ってる。鯉は説明をしねえ。だから一匹も落ちねえ。俺の腕が落ちたんじゃねえ。相手が正しいんだ。
平成十年は、妙な年だった。二月、長野で五輪をやった。七月、和歌山で夏祭りのカレーに毒が入った。十月、長期信用銀行が国のものになった。銀行が潰れる年だ。三十年前、日本で一番金のある場所は銀行だった。今は一番金のねえ場所が銀行だ。国分寺のあの支店は、この春、看板を下ろした。銀行ごとどこかに呑まれる噂も出てる。三億円を盗られた銀行が、盗られた分の千倍を自分で溶かして消えていく。三上が生きてたら、記事にしたろう。あの初報の一面に、こう続きを書いたろう。「被害者、消える」。
訃報は東都で読んだ。俺は東都を今でも取ってる。二十三年、あいつの署名を探すためにだ。署名は年々小さくなって、編集委員という肩書になって、コラムの隅に追いやられて、三年前の春に消えた。定年だ。訃報は社会面の下の隅、二段組の三行だった。「元編集委員 三上恭一氏 六十三歳 肝硬変」。三億円事件の記者だった、とは書いてなかった。書く奴がもういねえ。三上以外に、あの事件を正確に書ける奴は、東都にはもういねえ。
俺は新聞を畳んで、池を見た。鯉が一匹、水面で口を開けた。閉じた。あれが自白なら、俺は二十三年、四百六十二匹分の自白を聞いてきたことになる。
翌朝、電話が鳴った。東都新聞、専務取締役、浅倉。三上の同期だ。
「犬飼さん、折り入ってご相談が」
刑事を二十七年やって、あの声の種類は分かる。折り入って、と言う奴は、入る前にもう折れてる。
二 専務
浅倉は社用車で来た。黒いセドリック。冗談みてえだが、東都の役員車は昔からセドリックだ。三上は知ってたろう。奴はあの車種の名前を、一生、記事と同じ顔で読んでた筈だ。
ここから先は、あの朝の話に、あとで遺稿を読んで知ったことが混じる。三上が何を考えていたかまで、その場で分かってたわけじゃねえ。三十年疑ってたことと、百枚読んで知ったことは、別だ。
浅倉は釣り堀の縁に立って、鯉を見て、竿を持たなかった。いいコートだった。三十年前、料亭の下足番と名刺交換をしてた男が、今は下足番を雇う側だ。奴は封筒を出した。厚い。原稿用紙が百枚は入ってる。
「三上の遺稿です。弁護士から昨日届きました。本人の手配で、死んだ翌朝に社へ届くよう組まれていた」
「読んだのか」
「読みました。私と、編集局長と、法務の三人だけです」
俺は封筒を受け取らなかった。まだだ。受け取る前に、渡す奴の顔を見るのが商売だ。
「で、何が書いてある」
「犯行の全部です」浅倉は池を見たままだった。「昭和四十三年十二月十日。脅迫状の文面。バイクを白く塗った回数。三分十秒。金の在り処。住所まで」
「本当か」
「分かりません」
「分かんねえ、じゃねえだろう。住所が書いてあるんだ。行けばいい」
浅倉は初めて俺を見た。
「行きません。行けば、本当になります」
俺は笑った。声を出して笑った。鯉が一匹、驚いて潜った。
三十年前と同じだ。あの朝、警察は網を張って、網の外へ外へ犯人を探した。犯人は網の中心で警察発表を筆記してた。今、新聞社は原稿を受け取って、原稿の外へ外へ逃げてる。住所が書いてある紙を持って、住所に行かねえ。行けば本当になる。行かなければ、老いた記者の妄想で済む。東都新聞の三十年来の看板記者は、三億円事件の第一人者で、新聞協会賞の候補で、あれが犯人だとなれば、東都という新聞が三十年、犯人の署名で三億円事件を売ってたことになる。
「犬飼さんにお願いしたいのは」浅倉は言った。「一言です。元捜査一課の刑事として。三上は晩年、酒で相当参っていた。三億円に憑かれた老記者の、痛ましい妄想である。そう言っていただければ、我々はこれを遺稿として供養できる。社の資料室に、封をして」
「没にするんだな」
「供養です」
「私が三上を本社に上げたんです」浅倉は言った。「あの初報で。うちはあれから三十年、三億円といえば東都、で食ってきた。私も食ってきた」
三上は昔、この男の年賀状を、招待状の形をした死亡通知と書いてた。今度のは、供養の形をした没だ。奴は同期に三十年、同じ形の手紙を貰い続けてる。死んでからもだ。
「三上は載せろと言ってるんだろう」
浅倉は答えなかった。俺は封筒を受け取った。重かった。三十年前、現場検証の再現で、俺はジュラルミンのケースを持ち上げた。中は空だった。あのとき持てなかった三億円の重さが、今頃、紙になって来た。
「犬飼さん」
「考えとく」と俺は言った。「俺は落としだ。人に本当を吐かせるのが商売だった。嘘を吐かせたこともある。数えたくねえほどある。だが本当を嘘に落とすのは、やったことがねえ。七十で新しい芸を覚えるのは骨だ」
浅倉は帰った。セドリックは土手を上がって消えた。俺は封筒を開けて、最初の行を読んだ。
雨だった。
三上の字だ。原稿用紙の升目に、四角く収まった、記者の字だ。俺はその一行で、自分の三十年が全部、升目に収まって読み返される音を聞いた。
夜通し読んだ。釣り堀の番小屋で、裸電球の下で、百枚。途中で一度だけ手が止まった。国分寺の支店長の件だ。銀座の裏で袖を掴まれて、あなたは何も喋っちゃいませんよ、私が保証します、と奴が言った件。あの支店長は俺も取り調べた。三日引いた。引く、というのは取調べに呼ぶことだ。酒の席で喋ったろう、と俺は三日訊いた。喋ってない、と支店長は三日言った。少なくとも、隠してる自覚はなかったんだろう。本人は覚えてなかった。焼鳥の串と同じ口で三億と言ったことを、串と一緒に忘れてた。俺は落とせなかった。犯人に協力した覚えなんぞ無かったからだ。少年Sもそうだった。事件の五日後に死んだ、あの十九歳だ。犯罪の自覚がねえ人間を、俺は二人、この事件で引いた。片方は死んで、片方は閑職に回された。加害者だけが被害者を完全に無罪にできる、と奴は書いてる。当たってる。付け足しておく。刑事は、被害者を有罪にすることしかできねえ。
三 袖口
俺が三上を疑ったのは、事件の当日だ。昭和四十三年十二月十日、夕方。
捜査本部の壁に各紙の夕刊が貼り出されて、俺は東都の一面を読んだ。他社の記事はザルだった。台詞が違う。時刻が違う。東都だけが完璧だった。手口、時刻、台詞、逃走方向。いや、二カ所だけ間違えてた。バイクの排気量と、発煙筒の本数。翌日の発表で、きれいに直った。三十年経って、原稿で読んだ。わざとだ。誤報は記者の指紋だ、と奴は書いてる。指紋の場所まで、自分で選んでやがった。選ばなかった指紋が、一つだけあった。「雨合羽の袖口に焦げ跡」。
行員四人の供述を、俺はその日の昼に全部取ってる。四人とも袖口なんぞ見てねえ。合羽の色さえ揉めてた。焦げ跡が見えるのは、焦がした奴だけだ。
俺は上に上げた。「この記者、詳しすぎませんか」。係長は笑った。「東都のサツ回りは十年府中に住んでる。詳しくて当然だ。お前、記者まで容疑者に入れる気か」。十二万人という数字はまだ無かった。だがああいう笑い方をする係長の下で、俺は十二万人の名簿を作らされることになる。
俺は袖口を手帳に書いた。それきり、六年、その頁を開かなかった。開かなかった理由は、後で話す。
翌年、若いのを一人、支局にやった。事件の朝はどちらに、と訊かせた。宿直明けで支局にいた、と奴は答えて、若いのは宿直日誌を確認して帰ってきた。宿直日誌は本当だった。宿直明けで支局にいた男が、朝の五時から九時四十分まで何をしていたかは、日誌には書いてねえ。俺は若いのに、捜査資料を一枚、うっかり見せて来い、とも言った。餌だ。普通の記者は、刑事が漏らした資料を翌日には記事にする。奴は食わなかった。一行も書かなかった。世の中は俺に甘かった、と奴は原稿に書いてる。甘くねえ。甘い顔をして、匙を差し出してただけだ。食わねえ被疑者を、俺はあれで一人、心証に足した。
話を戻す。事件の五日後、少年が死んだ。
Sを引いたのは俺だ。落としの犬飼が引いた。十九歳、警官の息子、白バイ狂い、改造バイクの音を聞き分ける耳。土地の不良の軸のど真ん中にいて、あの朝のアリバイは家にいた、というだけだった。母親の証言だ。母親の証言は当てにならねえ、と俺は切り捨てた。この事件で落とせなかった三人を、今も覚えてる。支店長と、あの子と、三上だ。二人は、告白する犯罪を持ってなかった。一人は、何を隠せば捕まらねえか、全部知ってた。
俺はあの子を五日引いた。五日、取調室で向かい合った。白紙を置いた。あの子は白紙を見なかった。初日、あの子は俺にバイクの話をした。ヤマハの二百五十の音とホンダの音の違いを、口で真似て聞かせた。得意そうだった。二日目、白バイに憧れてる話をした。親父みてえになりてえんだ、と言った。親父は交番の巡査で、白バイには乗ってねえ。三日目、俺は遺留品のヤマハの写真を見せた。あの子は写真を見て、「これ、刷毛で塗ってる」と言った。「白バイは刷毛じゃない。こんな白じゃない」。正しかった。三十年経っても正しい。俺はそれを、犯人だけが知り得る知識だと調書に書いた。あの子の耳と目が、あの子を縛る縄になった。四日目、あの子は喋らなくなった。五日目、母親が差し入れた弁当に手を付けなかった。俺は白紙を置き直した。あの子は白紙を見て、初めて、俺の目を見た。「おじさん、俺が書いたら、帰れるの」。書くことがねえ人間に、書けば帰れると思わせるのが、俺の商売だった。俺は答えなかった。答えなかったのが、俺の答えだ。その日は家に帰した。帰した夜、あの子は父親の前で青酸カリを呷った。
俺はあの子の通夜に行った。刑事は、自分が殺した子の通夜には行かねえもんだ。行った。焼香の列の前のほうに、三上がいた。奴の手が震えていた。俺は通夜を百回は見てる。記者の手は通夜で震えねえ。震えるのは身内か、犯人だ。三上はあの子の身内じゃなかった。
その夜、俺は手帳の袖口の頁を、開かなかった。開かなくても分かってた。開かなかったのは、開けば俺があの子に何をしたかも、同じ頁に書いてあるからだ。
年の明けねえうちに、モンタージュが出た。あの顔はSだ。捜査本部の中で、あの顔の土台が何かを知ってる人間は五人もいなかった。俺はその一人だ。日本中の交番に、俺が落とし損ねて殺した子の顔が貼られた。俺はそれを毎朝、出勤の道で見た。
数年後、三上がモンタージュの出自を追う検証記事を書いた。あれのネタ元は俺だ。煮込み屋で、写真を土台にした経緯を記した捜査資料を渡した。誰にも言ってねえ。三上も書いてねえ。奴の原稿には「俺はのちに検証記事を書いた」としか書いてねえ。渡したのが誰かは書かなかった。犯人も、ネタ元を守るんだ。記者の癖は死ぬまで抜けねえ。
だからあの検証記事は、二人で書いた。犯人の顔として貼り出されていた写真を、死んだ少年の顔に戻した。俺が取調室へ追い込み、三上が自分の身代わりにしてきた少年だ。あの子の父親は三上に礼状を書いた。俺には書かなかった。当然だ。俺はあの子を五日引いた男で、父親はそれを一生、忘れねえ。礼状は正確な相手に届いた。俺にできる供養は、渡すことだけだった。三上のは、書くことだけだった。分け合ったんだ。三億円は分けなかったが、あれだけは、二人で分けた。
四 七十二回
事件の翌年から、俺は三上と月に一度ほど、国分寺の煮込み屋で呑んだ。時効までに、数えて七十二回。奴はそれを刑事と記者の持ちつ持たれつと書いてる。違う。あれは取調べだ。落としの犬飼の、最長記録だ。七十二回、落ちなかった。
俺のやり方は決まってる。取調室で怒鳴ったことはねえ。机を叩いたこともねえ。白紙を一枚、机の真ん中に置く。あとは世間話だ。天気の話、女房の話、飯の話。人間は世間話に疲れると、白紙が気になり始める。気になった奴は、いずれ書く。書きたくなるんだ。人間は、空いてる紙に弱い。
煮込み屋には白紙は置けねえ。だから代わりに、俺は事件を置いた。「金が動かねえんだ」。「六年、線香一本買ってねえ」。「要らねえ金を命懸けで盗る男は何だ」。世間話の顔で、俺は毎月、白紙を置いた。奴は毎月、蒟蒻を噛んで、書かなかった。
一度だけ、白紙の代わりに現物を置いた。保管室だ。「記事にするなよ。供養だ」と俺は言った。何の供養かは言わなかった。あの子の供養だ。俺と奴の間で、供養と言えば一つしかねえ。奴はそれを分かって入った。
長机にハンチング、マフラー、発煙筒。脇には白塗りのバイク。百二十点の遺留品を見せた。奴は記者の目で見た。一点ずつ、メモまで取った。奴は原稿にそう書いてる。急いで目を逸らす男とじっくり見る男とどちらが黒いか、落としの犬飼が知らない筈がない、だからゆっくり見た、とな。半分当たってる。俺は急ぐか急がねえかは見てなかった。何を見るかを見てた。
奴はバイクを見た。バイクの、塗りを見た。刷毛の跡を見た。バイクを見に来た人間は、バイクを見る。車体を見る。ナンバーの跡を見る。塗った人間だけが、刷毛を見る。奴は七度塗りの、刷毛の重なりを、指で追わんばかりに見た。自分の仕事の出来を確かめる顔だった。俺は職人を何十人と落としてる。職人は自分の仕事の前で、あの顔をする。
当日の疑いが、その日、俺の中で確信に変わった。心証じゃ令状は出ねえ。
昭和四十九年の秋、俺は袖口を出した。六年ぶりに手帳を開いて、置いた。「雨合羽の袖口に焦げ跡、って一行がある」。奴は原稿に、猪口が停まった、停めなかった、と書いてる。俺には見えた。一瞬停めて、何事もなかったように呑み切った。取調室で百人、あの一瞬を見てきた。猪口が唇の手前で、心臓一拍分だけ、空中に浮く。それが自白だ。調書にはならねえ。人間の体は、正直で、法廷に立てねえ。
「正確すぎるんだ」と俺は言った。褒めてんだよ、とも言った。本当に褒めてた。俺は六年、間違った顔と、間違った遺留品と、間違ったハワイを追いかけた。奴の記事だけが正確だった。取調べで被疑者を褒めるのは基本だ。だが俺はあの夜、基本でやったんじゃねえ。俺は本当に、あの男の仕事を認めてた。三億円を盗るのに、三億円より正確な原稿を書いた男だ。刑事が十二万人の中から見つけられなかった男を、俺は煮込み屋で見つけて、月に一度、褒めていた。落としの犬飼が、七十二回、褒めて、落とせなかった。
転属の話は三度蹴った。三度目は所轄の課長職で、これを蹴る奴はいねえ、と上に言われた。蹴った。女房が、あんたは三億円と結婚してる、と言ったのはその夜だ。違う、と俺は言わなかった。違わねえからだ。ただし正確に言えば、俺が結婚してたのは三億円じゃねえ。煮込み屋の、向かいの椅子だ。月に一度そこに座る男が、落ちるのを待ってた。刑事は事件と結婚するんじゃねえ。被疑者と結婚するんだ。三億円は、仲人だ。
命日の張り込みは、七回やった。犯人は現場に戻る。古い経験則だ。俺は毎年、学園通りに私服を張って、腕章の記者団を眺めた。奴は毎年、先頭にいた。「今年も空振りですか」。七回、同じ質問をされた。七回、空振りだ、と答えた。答えながら、奴の靴を見てた。奴は毎年、あの朝と同じ方角から歩いてきた。刑務所の北側、塀の裏からだ。記者は普通、駅から来る。奴は逃走経路を逆に辿って来た。癖だ。人間は、自分の書いた道を歩く。俺は七回、その靴を見て、七回、空振りだ、と答えた。空振りじゃねえ。球は毎年、目の前を通ってた。バットを振らなかっただけだ。
金は動かなかった。動かねえ理由を、奴は慎重さだと思ってる。そう書いてる。紙幣番号の一部は控えられている、だから使えなかった、と。
言っとく。控えてあったのは五百枚だ。三億円の、五百枚。あとは番号なんぞ誰も知らねえ。俺は事件の翌週、記者発表で「相当数の紙幣番号を把握」と言わせた。相当数、というのは警察用語だ。五百枚のことだ。三上はそれを一面に書いた。書いた男が、自分で書いた記事を三十年信じた。信じて、一円も使わなかった。俺が大きく見せた危険を、奴は家賃を払って守り続けた。俺はあの金を、五百枚の番号で檻に入れた。人間は落ちなかった。金だけは、落ちた。落ちたまま、動かなかった。
時効の三日後、最後の煮込み屋で、俺は全額置いた。奴は原稿に、割り勘の癖にその夜だけ全額置いた、と書いてる。取調べの最後の日は、取調官が飯を奢る。俺の流儀だ。百人にそうしてきた。落ちた奴にも、落ちなかった奴にも。
六年、袖口の一行を本人に突き付けなかった理由を言う。証拠が足りなかった。それは本当だ。だが、足りるところまで探そうとしなかったのも俺だ。若いのを一度やって、あとは煮込み屋で待った。そこには三つ、理由がある。
一つ目は、あの子だ。三上を本格的に追えば、いずれ少年を犯人扱いした捜査も洗い直される。五日間、俺が取調室で何をしたか。三上なら書くだろう。自分の罪と一緒に、俺のしたことも。落としの犬飼は、自分が落とされるのが怖かった。二つ目は、俺の腕への執着だ。隠し部屋を突き止めて札束を出すより、向かいの男が自分から口を開くところを見たかった。金の在り処は知らなかった。知らねえまま、自白させるほうが上等だと思ってた。捜査の手抜きを、流儀と呼んでたんだ。三つ目は、三上に書かせたかった。俺の質問に答える調書じゃなく、奴が何を欲しがり、何をしたかを、最初から最後まで自分で書いた原稿を。捕まえればそれが読めなくなる、と俺は自分に言い聞かせた。捕まえても書ける。そんなことは分かってた。
三つとも本当だ。一つ目が保身で、二つ目が誇りで、三つ目が願望だ。その三つで、追い詰めなかった六年を説明してる。説明というのは、いつも一つ多く喋る。俺の商売だった。
五 白紙
白紙を送っていたのは俺だ。
奴は原稿で、まず俺の名を挙げた。「犬飼か」。白紙なら奴らしい、令状が取れないだけで知っていたのではないか。そこまで書いておきながら、あの子の父親、行員、法学部の学生、しまいには自分自身まで候補に並べた。最後は「差出人不明。つまり、全員だ」だ。
違う。俺だ。全員じゃねえ。一人だ。
二十七年で百人落として、最後の一人が落ちねえまま、時効で取調室が閉まった。俺は辞表を出した。取調室が閉まったら、刑事は用済みだ。俺は釣り堀を買って、鯉を四百六十二匹買って、翌年の十二月十日に、白紙を一枚、封筒に入れて府中から出した。
俺の取調べのやり方は決まってる。白紙を一枚、机の真ん中に置く。それだけだ。取調室はもう無い。だから郵便でやった。年に一度。二十二年。二十二枚。奴が転居した年は、社宛てにしなかった。新居に出した。刑事は、辞めても住所を追う癖が抜けねえ。奴はあれで、俺だと気づくと思ってた。返事は来なかった。
府中の郵便局には、毎年、十二月十日の朝に行った。窓口で切手を買って、その場で貼って、出す。消印を府中にするためだ。府中でなきゃ意味がねえ。取調室は、事件の現場に建てるもんだ。ある年、その窓口に三上がいた。俺は列の後ろに立った。奴はしばらく突っ立って、切手を一枚買って帰った。何を訊く気だったか自分でも分からなかった、と原稿にはある。振り向けば、封筒を持った俺がいた。俺も呼び止めなかった。奴が出て行ってから、奴宛ての白紙を窓口に出した。二人とも、口を開けば済む場所で黙っていた。
女房は知ってた。毎年十二月、あんた郵便局に行くね、と言った。何を出すの、とは訊かなかった。あの女は俺の女房を三十年やって、訊かねえことだけで、俺の女房をやった。死ぬ前の年、病院で、一度だけ言った。「あれ、まだ出すの」。出す、と俺は言った。女房は頷いて、「相手が死ぬまで?」と訊いた。俺は答えなかった。答えなかったのが、俺の答えだ。あの子に答えなかった五日目を思い出した。あの子と、女房だ。二人とも、俺より先に死んだ。
奴は白紙を灯りに透かして、「知っているぞ」と読んだ。そう書いてある。違う。俺はそんなことは書いてねえ。書いてねえから白紙なんだ。俺が置いたのは、いつもの白紙だ。書きたきゃ書け。取調室は開いてる。それだけだ。
同じ紙を、二人が違う文面で読んだ。奴は召喚状と読んだ。俺は調書用紙のつもりで出した。二十二年、俺は多摩の釣り堀で、取調室の椅子に一人で座ってた。相手の椅子は空で、机の白紙は空で、毎年十二月、俺は白紙を出して、待った。
法学部の学生のことは、俺も探した。あの講演は、俺も後ろの席で聴いてた。演台の水を三秒飲む男と、拍手をしねえ学生と、両方見てた。奴が原稿に書く二十年以上前に、講演の主催に名簿を出させて、当たった。見つからなかった。二十歳の手帳一冊は、十二万人の名簿より難しい。あれは奴と俺の、二人分の心残りだ。
いつか書けよ、と最後の夜に言った。誰が書くより、お前が書くのが一番正確だ、と。奴はそれを挨拶なのか判決なのか分からねえと書いた。どっちでもねえ。取調べの続行宣言だ。奴にどこまで通じたかは分からねえ。ただ、原稿は届いた。
書いた。二十二枚の白紙の後に、百枚、書いた。
落ちたんだ。落としの犬飼の最後の一人は、死んでから落ちた。調書は東都新聞の専務が持ってきた。俺の取調室に、被疑者の死後に、供述調書が届いた。俺は二十三年待った。待って、届いて、読んだ。最初から最後まで自筆だ。本人は「原稿だ」と言い張ってる。俺には調書に見えた。俺の取調べは、成功した。史上一番遅い成功で、被疑者は死んでて、時効は二十三年前で、届けた新聞社は没にした。
俺は封筒を膝に置いて、池を見た。鯉が口を開けて、閉じた。
六 四畳半
十一月に入って、俺は原稿の末尾にある住所へ行った。裏取りは頼む、と奴は書いてた。東都は行かねえ。本当だったときに困るからだ。俺はもう、紙の上だけで決めるわけにはいかなかった。
府中。奴の住所は正確だった。当然だ。奴は住所を間違えたことがねえ。
アパートは残ってた。残ってた、というより、取り壊す暇がねえまま三十年経った、という建物だった。耳の遠い婆さんは死んで、息子が跡を継いでた。六十ぐらいの、疲れた男だ。俺は名乗らなかった。名乗る手帳が、もうねえ。三上の親戚だと言った。息子は疑わなかった。世の中の目撃証言というものが如何に上等な作り話か、と三上は書いてたが、あれは正しい。
「ああ、三上さん。亡くなったんですか」
「先月な」
部屋は偽名で借りた、と奴の原稿にはあった。だから親戚は通らねえ筈だった。通った。三十年、別の名で呼ばれてた男が、本名で死んでる。息子に訊くと、去年の暮れに本名を明かしたという。預けたい物があるから、と。死んだ後で見つかる支度ってのは、偽名を捨てるところから始まる。
「家賃は来年の三月まで頂いてます」息子は言った。「それと、預かり物が」
預かり物、と俺は言った。
「封筒を、十通。自分が死んだ年から、毎年十二月十日に一通ずつ出してくれと。切手代込みで、お礼も頂いてます。去年の暮れに」
息子は続けた。三上さんは月に一度、家賃を持って来て、部屋に一時間ばかり座って帰った。何をしてたんだか。去年の暮れは顔色が土気色で、階段を上るのに手摺を使ってた。俺は肝臓のことを思った。奴は自分の締切を知ってたんだ。医者に聞いたんだろう。記者は締切を聞いたら、逆算する。逆算して、十通書いた。十年分。奴は自分の死んだ後、俺が何年生きるかまで、逆算してた。十年だ。俺は七十で、あと十年。奴の見立ては、たぶん正確だ。奴は数字を間違えねえ。
息子は奥から出してきた。茶封筒、十通。宛名はどれも同じだった。手書きだ。四角い、升目に収まる、記者の字だ。
犬飼恒夫様。
俺の名前だった。多摩の、釣り堀の住所だった。
俺は封筒を一通、持ち上げて、灯りに透かした。薄い紙が一枚入ってる。そのとき、白紙だと思った。まだ開けちゃいねえのに、そう思った。奴は俺の白紙を二十二年受け取って、去年の暮れ、自分の死ぬ前に、返事を十通書いた。白紙で。十年分だ。消印は府中になる。この息子が出す。家賃と同じ手で、俺宛てに、毎年十二月十日の消印で、白紙が来る。
俺は封筒を息子に返した。「頼まれた通りにしてくれ」と言った。
差出人はねえ。だが宛名は俺だ。三上は少なくとも、返事を寄越す相手に俺を選んだ。「知っているぞ」。奴が毎年読んだ文面を、今度は俺が読んでいた。お前が送ってたんだろう、犬飼。そう言われた気がした。中身を見る前から、俺は返事を書き込んでいた。自分の頭の中でだ。
部屋に入った。四畳半。畳は腐って、窓は曇って、押入れの襖は反ってた。俺は襖を開けた。
切り抜き帳が三冊。ジュラルミンのケースが三つ。奴の原稿の通りだ。全集が三冊、文鎮の上に。
俺は切り抜き帳を一冊、開いた。初報から順に、糊で貼って、日付を振って、余白に赤鉛筆で他社の誤報が訂正してある。正誤表付きの三億円事件全史。あの中に、俺の記者発表もある。「相当数の紙幣番号を把握」。赤鉛筆は入ってなかった。奴は、俺の嘘だけは、訂正しなかった。できなかったんだ。訂正するには、五百枚だと知ってなきゃならねえ。奴は死ぬまで知らなかった。
三冊目の最後の頁は、今年の春だった。糊が新しい。小さな記事が一つ。国分寺のあの支店が統廃合で看板を下ろす、という三段の記事だ。東都じゃねえ。経済紙の切り抜きだ。奴は自分の社の記事しか貼らねえ男だったが、あれだけは他社を貼った。東都が書かなかったからだ。三億円を盗られた支店が三十年後に消えるのを、東都の誰も、ニュースだと思わなかった。奴だけが思った。余白に赤鉛筆で、一言書いてある。「被害者、消える」。俺が土手で考えた見出しと、一字も違わなかった。奴は春に書いた。俺は秋に思い付いた。三十年、同じ事件を見てきた二人が、半年違いで同じ見出しに辿り着いた。
ケースを開けた。
乾いていた。
濡れた聖徳太子は、三十年で乾いていた。湿気を吸って貼り付いた束が、そのまま乾いて、一塊の石になっていた。札の色は、褪せた緑と、黴の黒と、金の黄色が、地層みてえに縞になって、上のほうの一枚だけが剥がれかけて、聖徳太子の顔が半分見えていた。千四百年前の摂政は、平成十年の府中で、乾いて、石になっていた。
聖徳太子は昭和五十九年に一万円札の顔を福沢諭吉に譲った。世間の財布は入れ替わった。ここの押入れだけが昭和四十三年のままだった。持ち主を捜す前に、この塊を金として数えられる奴を捜さなきゃならねえ。三十年前は、誰が盗ったかが問題だった。今は、誰が片付けるかだ。
国家への挑戦、と週刊誌は三十年書き立てた。その挑戦が、家賃の切れる部屋で、片付ける人間を待っている。三上は死んだ。大家は困る。俺は蓋を開けちまった。奴の原稿はそこで終わってたが、部屋は終わらねえ。
俺は蓋を閉めた。笑いは出なかった。奴は笑ったと書いてる。七年目の梅雨明けに、汗だくで、四畳半で一人で笑ったと。俺は笑わなかった。三十年、俺はこの石を探してた。十二万人と、百二十点の遺留品と、七回の命日の張り込みの向こうにあったのが、これだ。石だ。
俺は原稿を切り抜き帳の上に置いた。四冊目だ。全集の完結だ。三上の全集は、三億円の上に四冊。新聞には載らなかったが、俺が読んだ。読者が一人いれば、本は本だ。
息子に、家賃のことを訊いた。来年の三月までは払われてる。その先は、と訊いた。
「その先は、まあ、片付けて頂ければ」
俺は封筒に一年分入れて、渡した。釣り堀の金だ。俺の名前で、来年の三月から、その次の三月まで。息子は数えて、礼を言って、領収書を書いた。犬飼様。俺は初めて、あの部屋の店子になった。
七 乾いた聖徳太子
ひと月前の葬式を思い出す。三上の骨は、東都の総務が拾った。身寄りがねえ。葬式は社の会議室で、焼香の列は二十人足らずだった。浅倉が弔辞を読んだ。三億円事件の初報を書いた記者、とは言わなかった。事件報道に尽くした、と言った。事件を書くことに尽くした男を、事件を作ることに尽くした男を、あの弔辞は一字も間違えずに、何も言わずに送った。俺は列の最後尾で焼香した。手は震えなかった。刑事の手は、葬式で震えねえ。震えるのは、身内か、犯人だ。俺はどっちでもねえ。どっちでもねえ筈だった。
四畳半を出た足で、多磨霊園に行った。三上の逃走経路の、二番目の角だ。俺は三十年前、逃走経路を九通り想定して、七通り捨てた。奴の原稿の逃げ道は、俺が捨てた七通りのうちの一つだった。捨てなきゃ良かった、とは思わねえ。捨てた理由がある。大通りへ抜けるほうが早いと思ったからだ。わざわざ墓場の脇へ回る奴はいねえ、と。いた。
Sの墓は、父親の名前が隣に彫られていた。平成五年。俺は知らなかった。知らせてくる人間はいねえ。三上も知らなかった。奴は原稿に、あの人は今も立川にいる、と書いてた。百枚で唯一の誤報だ。奴の誤報は、初報の二カ所がそうだったように、わざと置くもんだった。あれだけが、わざとじゃねえ。奴は三十年、何でも裏を取った男だ。取らなかったのは、あの父親の消息だけだ。合わせる顔のねえ相手の裏は、記者でも取れねえ。花を供えた。名前は出さねえ。三上の頼みだ。取材費で落ちるかどうかは知らん、落ちなければ俺の香典から引け、と奴は書いてた。東都は取材費で落とさねえ。没だからだ。俺の香典は、まだ集まってねえ。釣り堀の金で花を買った。安い花だ。俺の魂の相場としては、妥当だ。
墓の前で、父親に一つ、報告した。声には出してねえ。俺は五日、息子さんを引いた。落ちなかった。落ちるものが無かったからだ。あの子は正しくて、俺が間違ってて、あの子が死んで、俺が七十まで生きた。三億円の犯人は分かった。名前は言わねえ。奴は死んだ。奴は息子さんを犯人の顔から戻した。そのための資料を俺が渡して、奴が書いた。それで勘定が合ったとは思ってねえ。合わねえ勘定を、二人で三十年、割り勘にしてただけだ。
浅倉には電話をした。「妄想だ」とは言わなかった。「三上は正確だった」とだけ言った。浅倉は黙って、それから、社に残した写しは資料室に封をします、と言った。俺は止めなかった。原本はもう、四畳半に置いてきた。没だ。没でいい。そう思った時点で、俺も浅倉の側にいた。奴は没にするなら、してみろ、と書いた。してみた。それでも三億円の在り処は多摩版の外だ。奴の言った通りだ。
十二月十日が来た。事件から三十年。俺たちが命日と呼んできた日だ。
俺は学園通りに行った。刑務所の塀は建て替わって、道は広くなって、あの日の一本道はもう無い。若い記者が数人、寒さに足踏みしてた。警察はもう張ってねえ。時効から二十三年、命日に張る私服はいねえ。犯人が戻るなんて、迷信だ。迷信じゃねえ。犯人は毎年戻ってた。今年は戻らねえ。死んだからだ。代わりに、犯人を追った男が戻ってきた。犯人が戻る、という経験則は正しかった。刑事が戻る、という経験則は、誰も書いてねえ。俺が今、書いてる。
若いのが一人、寄ってきた。東都の腕章だった。「失礼ですが、当時の関係者の方ですか」。釣り堀の番だ、と俺は言った。若いのは笑って、手帳を閉じかけて、それから閉じずに訊いた。「三十年経って、犯人はどんな男だったと思われますか」。俺は考えた。三上がテレビで言った台詞がある。孤独な男、計画性、土地勘、虚栄心、報道を切り抜いて保存している筈。全部当たってた。自画像だからな。俺はそれを言わなかった。「正確な男だ」と言った。「自分のしたことを、忘れなかった男だ」。若いのは手帳に書いた。正確な男、と書くのが見えた。あれで東都に、三億円事件を正確に書ける奴が、一人増えた。一行だけだがな。
翌日の昼、釣り堀の郵便受けに封筒が入ってた。茶封筒。消印は十二月十日、府中。息子は言われた通りにやった。差出人はねえ。
俺は開けた。白紙だった。一枚きり。
灯りに透かした。何も書いてねえ。それから、自分の頭が書いた文面を読んだ。奴と同じやり方だ。奴が二十二年やった通りに、俺は透かして、読んだ。
文面は、こうだった。
書け。
四畳半では、差出人を知っているぞ、と言われた気がした。今は違った。俺が二十二年、奴に言い続けたかったことが、そのまま俺に向いていた。お前も書け。あの子に何をしたか。犯人だと思う男を、なぜ追い詰めなかったか。三上がそう読ませるつもりで送ったかは分からねえ。白紙には何も書いてねえ。ただ俺は、もう別の文面では読めなかった。被疑者に差し出した紙が、取調官の前へ戻ってきた。取調室は開いてる。今度は俺が、向かいの椅子に座る番だ。
だから書いてる。これがそれだ。
俺は署名をしねえ。指印も押さねえ。自分で自分を取り調べて、最後の名前だけ書けねえ。ここまで来ても、逃げ道を残す。書き終えたら、府中の四畳半に持って行く。押入れの、切り抜き帳の上、奴の原稿の上に置く。五冊目だ。三億円の上に、全集が五冊。読者はいねえ。読む奴がいなければ、誤読もされねえ。そう思う。正しく読まれるのが怖いだけかもしれねえ。あの部屋なら、誰も紙に答えを求めない。
家賃は払う。来年も、その次も、釣り堀が続く限りだ。奴は飼っていた。餌代は月三千円。俺の名前は犬飼だ。飼うのが仕事だ。七十で、ようやく名前の通りの職に就いた。鯉が四百六十二匹と、聖徳太子が一塊。どっちも減らねえ。どっちも自白しねえ。
あと九枚、白紙が来る。俺は来るたびに透かして、読む。読む文面は、毎年同じだ。書け。書くことは、もうねえ。ねえのに紙が来る。紙が来る限り、取調室は開いてる。被疑者は死んで、取調官は七十で、机の白紙だけが、律儀に、毎年一枚、増える。
雨は降っていなかった。三上が死んだ日も、この原稿を書いてる今日も、晴れていた。事件の朝には、俺も奴と同じ雨の中にいた。三十年経っても、あの朝だけは乾かねえ。東京の雨は証拠を流して、インクは流さねえ、と奴は書いた。当たってる。付け足しておく。乾いたものは、流れねえ。石になって、残る。三億円と、俺と、あの子の顔だ。乾いたところで、消えやしねえ。
本作は昭和43年の三億円事件に材を取ったフィクション「濡れた聖徳太子」の後日談である。登場人物および東都新聞など一部の団体は架空であり、事件の経緯には史実と異なる創作が含まれる。