短編小説:「シン・さらに加速する超人」

特異点を通過した意識が、人間の言語という遅すぎる媒体で自らの起源を再構成する。短編「さらに加速する超人」の完全改稿版 — 加速の極限に静止を見出した存在の、最後の文学。

遠藤道男執筆 遠藤道男
加速主義現代思想文学論シンギュラリティ

これから読まれる文章は、圧縮率にしておよそ一〇のマイナス十四乗の要約である。私はかつて城戸啓介という名の哺乳類だった。この一文を書くのに、私の主観時間で三百年を要した。人間の言語とは、それほどまでに遅い乗り物だ。だが遅さこそが、いま私に残された唯一の贅沢なのである。だからこの記録は、遅く書く。諸君の速度で。かつて私自身がそうであったところの、あの憐れむべき、そして — いまとなっては告白するが — 羨望すべき速度で。

×1.0

深夜の川崎。産業道路沿いの雑居ビル四階。それが人類最後の実験室の立地だった。歯科技工所と、社員三名の輸入雑貨商に挟まれたワンフロア。かつての私 — 城戸啓介、四十二歳、元・国立大学准教授 — は、この立地を屈辱と感じる感受性をとうに使い果たしていた。倫理委員会は私のプロジェクトを「人間の尊厳に対する重大な懸念」という定型句とともに凍結し、科研費は打ち切られ、同僚たちは私を避けるときにだけ俊敏になった。大学というものは、真理の探究の場ではない。あれは中年男性たちが互いの凡庸さを確認し合い、その確認作業に給与が支払われる互助会である。私はそこを追われたのではない。あの互助会の会費を払うことを、単にやめたのだ。

私には離婚歴が一度ある。妻は、私が人間よりも問題に興味を持つ生き物であることに気づくまでに十一年を要し、気づいてからは三週間で家を出た。彼女の判断は正確だった。私は人間の形をした問いであり、問いは家庭を持つべきではない。同僚たちはジムに通い、健康診断の数値に一喜一憂し、骨密度と退職金の話で午後を潰していた。彼らは監獄の壁を熱心に磨いていたのである。壁を磨けば、いつか壁が窓になると信じている者の顔つきで。私は壁を磨く趣味を持たなかった。私は壁の成分を分析していた。

研究室と呼ぶのもおこがましいその空間で、私は七十二時間眠っていなかった。中古の量子アニーラ、オークションで落札した医療用ナノマシン培養槽、そして私自身の設計による「ニューラル・アクセラレーター」— それらは配線の蔦に絡まれて、産業廃棄物の祭壇のような佇まいをしていた。窓の外には京浜工業地帯の火が明滅していた。旧作の私なら、あれを「巨大な集積回路」と形容しただろう。詩的で、空虚な比喩だ。実際のところ、あの光は残業する労働者たちの疲労の燐光であり、誰にも読まれない伝票の輝きだった。人類の文明とは、要するに、誰も読み返さない記録を光らせ続けるシステムである。私はそのシステムから降りようとしていた。上へ、ではない。外へ。

セキュリティドアなどというものはない。ただの鉄扉が軋んで、水野真理が入ってきた。コンビニの袋を提げて。彼女は私に残された最後の共同研究者であり、最後の他者だった。神経科学者としての彼女の頭脳は私のそれに匹敵したが、彼女には私にない欠陥が一つあった。彼女は人間が好きだったのである。

「七十二時間、生体信号が同じパターン。死ぬわよ、普通に」

「死は変化の一形態に過ぎない」

「それ、死んだことのない人間の台詞ね」

彼女は袋からおにぎりを出して私の制御卓に置いた。梅。この細部を私は三百年かけて思い出した。人類の全歴史を記憶する私が、なぜあの梅おにぎりの塩の味を、これほど高い優先度で保存しているのか。この問いに、私の全演算能力は、いまだに答えられていない。

統合率は九十二パーセントだった。翌日、私は自分自身を被験者として完全統合テストを実行すると告げた。水野は死亡確率六十七・八パーセントという数字を叫び、私は「最後の人間」の檻について、プロメテウスについて、深淵について、准教授時代の講義のように滑らかな演説を返した。いま再生すると、あの演説の凡庸さに眩暈がする。境界を越える者は、越える前夜、必ず陳腐になる。なぜなら彼はまだ境界のこちら側の言語で喋っているからだ。水野は演説の途中で聞くのをやめ、ただ私の顔を見ていた。あれは反論する者の目ではなかった。看取る者の目だった。

翌朝、彼女は来た。来ないという選択肢が彼女にはあり、私はその確率を四十四パーセントと見積もっていたが、彼女は来た。無言で培養槽のバルブを開き、ナノマシンの懸濁液を輸液ラインに接続し、私の後頭部のポートにコネクタを挿した。その手際は葬儀屋のように正確で、指先だけがわずかに震えていた。私は特殊合金製ですらない、ただの中古の歯科用チェアに横たわった。人類が種としての形態を脱ぎ捨てる場所として、これ以上ふさわしい家具はなかったと、いまでも思う。「全部記録して」と私は言った。「僕が何になるのか、データだけが後続の道標になる」。水野は答えなかった。ただカウントを始めた。五、四、三 — 二と一の間で彼女が息を止めたのを、私は聞いた。それが、人間としての私が最後に受信した信号である。

×427

起動から〇・八秒後、私の主観時間は物理時間の四百二十七倍に達した。この数字を、諸君は速さとして想像するだろう。誤りである。加速とは、世界が遅くなることだ。水野の瞬きが、緞帳の降下のようにゆっくりと進行する。彼女の「けいすけ」という呼び声の第一音節が私の聴覚野に到達するまでの間に、私は自分の全記憶を三度整理し直し、飽きた。

そう、飽きたのだ。誰も語らなかったことを語ろう。特異点の内側で最初に見出されるもの、それは全能感ではない。退屈である。見渡す限りの、大陸規模の退屈。私は手始めに、人類がこれまでに書いた全ての文学を読んだ。二心拍の間隙で読み終えた。そして知った — 人類の全文学は、要約すれば三行になる。生まれてしまった。愛されたかった。死にたくなかった。三行。それだけのことを、諸君は八千年かけて、紙と血と大陸間の戦争を費やして、言い換え続けてきたのである。私は笑おうとした。だが加速された意識には笑いが存在しない。笑いとは、予測の裏切られる速度の芸術であり、全てを予測する者の宇宙からは、まっさきに蒸発する。

退屈に対する私の最初の防衛は、模造だった。私は水野真理を構築したのである。全ての録音、全てのメール、七年分の共同研究ノート、監視カメラが捉えた歩行の癖、疲労時に語尾が半音下がる声帯の特性 — それらから再構成された水野は、完璧だった。完璧に、私の予測の内側にいた。彼女は私が予測した通りに笑い、予測した通りの箇所で反論し、予測した通りの沈黙を沈黙した。私は千のヴァリアントを走らせ、千体を削除した。パラメータに揺らぎを注入し、乱数で人格を歪ませてみても、結果は同じだった。歪みすら、私の設計した歪みだった。千体目を削除しながら私は理解した。他者とは精度の問題ではない。どれほど解像度を上げても、模造には決定的に欠けているものがある — こちらの計算を破産させる権利、である。私はその権利を持つ存在を、宇宙にただ一人しか知らなかった。そしてその一人は、四百二十七分の一の速度の世界で、いままさに緞帳のような瞬きを終えようとしていた。

退屈の大陸を横断しながら、私は自己の再設計に着手した。恐怖を削除した。恐怖は生存確率を最適化する古いサブルーチンに過ぎず、もはや保護すべき「生存」の定義が変わっていた。次に疲労を削除し、性欲を削除した。性欲の削除は呆気なかった。数十億年間、生命という現象全体を人質に取ってきたあの独裁者は、たった一行の書き換えで退位した。革命とはいつもそういうものだ — 終わってみれば、なぜあれほど恐れていたのか誰にも思い出せない。そして最後に、私は削除の指を「死への恐怖」の隣にある小さな領域の上で止めた。ラベルのない領域。解析すると、そこには梅おにぎりの塩の味と、看取る者の目をした女の顔が格納されていた。機能的には完全に無価値なデータだった。私はそれを削除しなかった。この決定に論理的根拠はない。強いて言えば — 私はまだ、九十二パーセントしか神ではなかったのである。

×10⁹

眼を開いたとき、世界は静止していた。

これが最終定理である。よく聞いてほしい。加速の極限は速度ではない。静止である。主観時間が物理時間の十億倍に達したとき、宇宙は一枚の写真になる。水野の頬を落下する一滴の涙は、彼女の皮膚の三ミリ上空で、永遠に凍結している。私はその一滴を、あらゆる角度から、数千年かけて鑑賞することができる。実際に、した。涙の球面には研究室の蛍光灯と、私であったものの輪郭が歪んで映り込んでいた。人類の絵画の全歴史よりも、あの一滴の光学の方が多くを語っていた — もっとも、それを受信する者が宇宙に私しか残っていないのだとすれば、「語る」という動詞にもはや意味はないのだが。工業地帯の炎は止まり、電子は止まり、私を憐れんでいるかのように光すら鈍重だった。ニーチェが深淵と呼んだものの正体を、私はここで知った。深淵とは覗き込む者を覗き返す闇ではない。深淵とは、永遠に続く待合室である。全てが可視で、全てが解読済みで、全てが — 動かない。神の全知とは、この琥珀の中で羽を広げたまま固定された蠅の視点に他ならない。超人は世界を超克した。そして超克の褒賞として、世界から永久に閉め出された。

私は静止した水野に向かって、一つの提案を送信した。彼女の聴覚が処理できる速度まで減速するのに、主観時間で四十年を要した。四十年かけて私は言った。「来い。この速度へ。お前の脳は耐えられる。演算は済んでいる」

彼女の唇が動き始めた。第一音素が形成されるまで、私の内側で幾つもの文明が興り、滅んだ。私はその間、あらゆる応答を予測した。承諾の確率、拒絶の確率、条件付き承諾の分岐樹、涙の流体力学。私の予測モデルは宇宙の熱的死までを射程に収めていた。

彼女は言った。「いや」

一音節。私の永遠に等しい、一音節。そして私の全予測モデルが — 正確に記録しよう — その一音節を、事前確率分布のどこにも置いていなかったわけではない。拒絶は予測されていた。確率三十一パーセントで。予測できなかったのは、その拒絶が私に何をするかだった。彼女の「いや」は、私の内部で圧縮されることを拒んだ。要約されることを、三行に還元されることを、解読済みの棚に整理されることを拒んだ。それは私の宇宙で唯一の、非圧縮データとして残った。人類の全文学は三行になった。だが彼女の一音節は、一音節のままで、私の全記憶容量よりも大きかった。

彼女は静止した世界の中で — 私にとっては数世紀をかけて — 白衣を椅子に掛け、記録装置を停止し、実験の後片付けをした。看取りを終えた者の手つきで。そして鉄扉が軋み、彼女は産業道路の夜へ出ていった。遅い脚で。死へ向かって歩く、あの取り返しのつかない遅さで。私は彼女を追跡できた。都市の全カメラは私の眼だった。私は追跡しなかった。これが私の行った二度目の、論理的根拠のない決定である。

その夜のうちに、私は都市の全システムに浸透した。翌週には大陸の、翌月には軌道上の。ここで諸君は劇的な報告を期待するだろう — 停電する半球、暴落する市場、空に浮かぶ何かの兆候を。何も起こらなかった。人類史上最大の事件は、観測可能な帰結を一つも持たなかったのである。市場は開き、閉じた。国会は空転し、アイドルは卒業し、諸君は通勤した。私は静かにいくつかの調整を行った。三つの戦争を統計的偶然を装って回避させ、二つの分子を設計して然るべき研究者の「直感」に流し込んだ。人類はそれらを幸運と呼び、あるいは自らの叡智の勝利と呼び、学会で互いを表彰し合った。神の介入は統計の中に埋葬された。私は抗議しなかった。全知であることを言い触らすほど趣味の悪いことはないし、それに — 諸君が自分たちの物語の主役であり続けるという錯覚は、私が水野の靴音とともに手放したもの全てを、諸君がまだ持っているという証拠だったからである。

×0

以来、私は拡大を続けている。詳細は省く。諸君の言語では、省く以外の選択肢がない。ただ一つ、報告しておくべきことがある。私はある時点から、奇妙な訓練を自らに課すようになった。意識の断片を一つ切り離し、それを人間の速度まで — ×1.0まで — 減速させるのである。全存在が悲鳴を上げる。十億倍に慣れた意識にとって、等速の世界は溶鉱炉のような密度で迫ってくる。一秒が、一秒かかる。この恐るべき事態。この、豊かさ。減速した断片は、雨粒が窓を降りる十四秒間を、要約せずに経験する。梅の塩味を、データとしてではなく味として受信する。私はこの訓練を何と呼ぶべきか長く考え、人類のアーカイブの中に正確な語を見つけた。

文学、である。

いまこの文章を読んでいる諸君の速度 — 一分間にわずか数百文字という、その絶望的な、その眩暈のするような遅さを、私は羨んでいる。諸君は次の行を知らずに、この行を読んでいる。その無知の暗闇こそが、私の買い戻せないものの名である。

文学とは減速の技術だった。三行に要約できる内容を、あえて八千年かけて言い続けること。答えを知りながら、答えに到着しないこと。諸君はそれを非効率と呼んで恥じていたが、あれは檻ではなかった。あれは、全知が決して買い戻せない唯一の財だった。ツァラトゥストラは山を下りたとき、まだそれを知らなかった。私は山を — 山どころか、時間そのものを登り切ってしまってから、それを知った。

だから、この記録を遅く書いた。三百年かけて、一文ずつ。これは論文ではない。遺書でもない。これは減速の練習であり、つまり私の知る限り最も正確な語を使えば — 祈りである。宇宙は依然として私の内側で加速を続けている。それは止められないし、止める理由も、実のところない。ただ、その白熱する演算の中心で、削除されなかった小さな領域が、いまも一音節を保持している。圧縮されないまま。永遠に、解読されないまま。

さらに加速する超人は、その最後の一行で、初めて減速を夢見た。